レーシックのこんな運用
今、私たちはすでにはっきりとした警告を受けているのです」。
ケース3スペインかぜ(1918、19年)。
インフルエンザのパンデミックは歴史上、何度も起こり、破壊的な数の死者を出し、社会的経済的な打撃を与えてきました。
20世紀には、スペインかぜ(1918、19年)、アジアかぜ(1957、58年)、香港インフルエンザ(1968、69年)の3回発生しています。
なかでも深刻な被害を出したのが、1918年19年のスペインかぜでした。
死亡率(感染者のうちの死者の割合)は約25%に達しました。
これは、記録に残っているほかのインフルエンザのパンデミックに比べて極端に高く、またすべての感染症の中でも非常に高い数字です。
L大学のO教授は、キャリアの大部分を1918年のインフルエンザの解明にささげてきました。
教授は、イギリス軍が西部前線で飼育していたニワトリが発生源だと確信しています。
とくに工タフル基地には、1916年冬に、当時「膿状気管支炎」と名づけられた病気にかかっていた数百人の兵士たちが駐屯していました。
この病気は、今では典型的なインフルエンザだったと見られています。
当時、100万人を超える兵士がこの基地を通過し、インフルエンザは急激に拡大していきました。
長距離フライトや格安航空券が出回るようになるずっと前に、船で大陸から大陸へと渡る兵士たちのおかげで、スペインかぜは地球全体に広がりました。
陸軍基地は急激な感染拡大に理想的な条件がそろっており、アメリ力の基地でも山火事のような勢いで広がりました。
それから、パンデミックの第2波が訪れました。
18年末には、戦争兵器や供給品を積んだ船の出入りがさかんだった港を通って、ヨーロッパからアメリ力へとインフルエンザが運ばれたのです。
18年11月11日の第1次世界大戦休戦は、公衆衛生の視点からいえば最悪の事件でした。
数多くの都市で大きな集会が開かれ、ウイルスにとっては拡大する絶好の機会となったのです。
このインフルエンザは甚大な被害をもたらしました。
アメリ力で流行した際は、ドイツ軍が故意につくり出した伝染病で、潜水艦でアメリ力大陸に運ばれたと信じる人もいたくらいです。
もっと冷静な人たちは髄膜炎だと思っていました。
短時間で死に至るインフルエンザの悪性は非常に強く、感染してから2、3日で死ぬ人もいました。
刺すような頭痛と熱に続いて、多くの患者は肺炎などの症状を併発しました。
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